「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
という言葉を聞いたことがあると思います。
この言葉について、多くの人が勘違いをしています。
【勘違い その1】
この言葉、福沢諭吉が言った言葉だと思っていませんか?
学問のすすめでは、
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の後に、
「と言えり」と続きます。
つまり、
「『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』
という言葉があるんだけどね。」と、誰かの言葉を引用しているのですね。
その引用元は、第3代アメリカ合衆国大統領 トーマス・ジェファーソンによって、起草されたといわれるアメリカの独立宣言の一節を意訳したという説が有力です。
【勘違い その2】
福沢諭吉は、人はみな平等であり、職業や出生で貴賎の差、貧富の差があるべきではないと説いているのでしょうか?
これは、まったくその逆ですね。
人は生まれつき平等ではあるけれど、世間を見渡すと、貧富の差も貴賎の差も雲と泥ほどの違いがあるけど、これって何でしょうね?
それは、学問を学んだ人と学ばなかった人の差ですよ。
と言っています。
なんとなく、こんな意味なんだろうな~という感覚でいい加減な知識として頭に入っているものも、今は、ネットでちょっとググってみれば、すぐに正しい答えに辿り着くことができます。
下に、「学問のすすめ」原文を掲載しておきます。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。
されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤きせん上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資とり、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。
されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥どろとの相違あるに似たるはなんぞや。
その次第はなはだ明らかなり。
『実語教じつごきょう』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。
されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。
また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。
そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。
すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役りきえきはやすし。
ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。
コメント