「私のおっとりした性格は母親譲りなんですよ。」

「ぼくの几帳面な性格は父親の遺伝ですね。」

性格が親に似るというのは、よく聞くことですね。

おっとりした性格、几帳面な性格は、個性として大切にしてほしいと思います。

 

しかし、世間には、とんでもない行動を親のせいにするバカヤローもいます。

「俺の酒乱は、親父の遺伝だから仕方がない!」

「私のパチンコ狂いは母親譲りだからね。」

これは、性格の遺伝ではありません。

 

確かに幼い頃から父親が酒に酔って暴力を振るうような家庭に育った子供は、大人になって、同じようなことをする場合があります。

それは、酒に酔って暴力を振るうという行動が、選択肢の中に組み込まれてしまっているからです。

しかし、それは選択肢の中の一つであり、その行動を選択しているのは、あくまでも意志の弱いその人自身なのです。

 

私の父は、毎晩お酒を飲むほどの酒好きですが、酔って母に手を上げるような場面を見たことがありません。

なので、私の中に、酒に酔って誰かに手を上げるという選択肢がありませんし、それをする人の心理も理解できません。

 

夕食の後に、両親が本を読んでいる家庭に育った子は、夕食の後に本を読むという行動が選択肢の中に出来上がります。

ところが、両親が本を読んでいるところなんて見たことがないという子は、本を読むという選択肢を持ちません。

子は親の行動によって、選択肢を与えられはしますが、その行動を選択するかどうかは、その子自身です。

よく本を読む子は、親によって「本を読む」という選択肢を与えられただけで、本を読むという行動を選択しているのは、その子自身なのですね。

もちろん、家庭において、本を読むという選択肢を与えられなくても、成長する過程において、本を読むことが大切だと気づく子供もたくさんいます。

そう考えると、行動の全ては、自分自身の選択だと言えます。

 

テレビでも、大物タレントの二世が、世間に迷惑をかけるような事件を起こし、それを親が謝っているシーンを良く見かけます。

でも、二世タレントの取った行動は、その子自身の選択であり、親の責任ではありません。

ただ、私にも子供がいますから、親が謝るという気持ちはよく分かります。

それは、子供の行動を親の責任だと思って謝るというよりも、世間の風当たりを自分に向けて、少しでも子供への風当たりを弱めたいという親心からではないでしょうか。

また、自分が世間から叩かれることによって、「あなたの行動はこれほど大きな代償を払わなけれなならないものなのだよ。」と子供に教えたいという気持ちもあるかもしれません。

 

性格は、親から遺伝するかもしれません。

しかし、行動はその人自身の選択です。

良いことをするのも、悪いことをするのも、それは、その人自身の選択であり、親には何の責任もありません。

 

ガミガミ叱られ続けた者が暗い性格になるとは限らない。

親の考えを受け入れるか、親を反面教師にするかは、自分の意志で決められるからだ。

アルフレッド・アドラー

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