「隣で食べろ」と命令された夜――私は「触らないで」と言うしかなかった。

夫に触れられない距離を選んだのに、命令で戻されました。
私は、食事のときに座る場所を夫の正面に移動していました。
夫が手を伸ばしても私に触れない距離をつくることが、今の私にとっては自分を守るための最低限の工夫だったからです。
けれど、その夜、夫は私に「隣で食べろ」と命令してきました。
お願いでも相談でもなく、命令です。
その言い方ひとつで、私は「私は対等な相手として見られていない」と痛いほど感じました。
夫は、私を命令する相手、見下す相手として見ているのでしょう。
そして私は、命令されると反射的に従ってしまう癖がまだ残っていて、そのことがまた悔しかったです。
「触らないでよ」と念を押して、私は隣に戻ることを選びました。
私はすぐに断れませんでした。
私の中には、家庭の空気を壊したくない気持ちと、息子たちに余計な緊張を背負わせたくない気持ちが、まだ強く残っています。
だから私は、「触らないでよ」と念を押して、夫の隣で食事をすることを了承しました。
この一言は、私にとって精一杯の境界線でした。
「隣に座る」ことは受け入れても、「触れられる」ことは受け入れない。
それだけでも言えた自分を、私は少しだけ褒めたい気持ちと、こんな当たり前のことを宣言しなければならない惨めさが、同時にありました。
夫婦なのに、触らないでと言わなければならない。
その現実が、胸の奥に重くのしかかりました。
夫は「いつも通り」に戻したいだけなのかもしれません。
夫は、夫婦で長年この並びで食事をしていたので、今まで通りにしたかったのでしょう。
夫にとっては、隣に座っていることが「普通」で、その普通が崩れることが不快だったのかもしれません。
でも私は、その“普通”の中で、長い間自分を小さくしてきました。
夫の機嫌を損ねないように言葉を選び、空気を壊さないように笑い、触れられるのが普通な日常で、妻を演じてきたのです。
だから、今まで通りに戻ることは、私にとって安心ではなく、苦しさを戻すことでもあります。
「いつも通り」という言葉は、優しい響きに見えて、時に一番残酷です。
戻る場所が、私にとって安全ではないからです。
「対等じゃない」その感覚が、私の心を決定的に冷やしました。
夫が命令口調になるたび、私は心の中で距離が離れていくのを感じます。
対等な会話ではなく、上下の関係で押さえつけられる。
私は妻であり、母であり、家庭を回してきた人間なのに、夫の目には“従わせる相手”として映っているように思えてしまうのです。
その感覚は、怒りというより虚しさに近いもので、私の心を冷やしていきました。
夫が「隣に座れ」と言ったのは、愛情の表現ではなく、支配の確認のようにも感じました。
私はその支配に、もう体が拒否反応を起こしているのだと思います。
それでも私は、境界線だけは手放したくありません。
私は隣に座ることを了承しました。
でも「触らないで」と言いました。
これが今の私にできる、現実的な防御だったからです。
本当は、席を変えることも、触られることを拒むことも、夫婦なら話し合って決められるはずです。
けれど私たちの家では、話し合いより命令が先に来ることが多く、私はそれに慣れすぎてしまいました。
だからこそ私は、たとえ小さくても境界線を言葉にすることを、これからも手放したくありません。
私が私を守るために必要なのは、大きな決断の前に、こういう小さな「嫌だ」をきちんと認めることだと思うからです。
隣に座っても、私は私の体を差し出さない。
その決意だけは、静かに守りたいです。

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