富山行きの朝、私はもう「抑える」ことをやめてしまった――夢みたいな新幹線の時間。

旅行の朝、ワクワクで寝不足なのに心だけは軽かったです。
彼と富山へ旅行に行く朝、私はワクワクして寝不足でした。
目は少し重いのに、胸の奥だけが明るくて、時計の針が進むたびに「早く会いたい」と心が急いてしまいました。
家の中では静かに動きました。
いつもの朝と同じふりをして、必要なことだけを済ませて、余計な感情を顔に出さないように。
でも内側はまるで違いました。
この日の私は、家の都合でも、妻の役目でもなく、「彼と出かけたい」という気持ちに動かされていました。
そんな自分が嬉しくて、同時に少しうしろめたくて、それでも止められませんでした。
駅で顔を見た瞬間、私は反射で彼の手を握っていました。
駅で待ち合わせして、彼の顔を見ると、嬉しくて嬉しくて、私はすぐに大好きな彼の手を握りました。
言葉より先に手が動いてしまうほど、私は彼に会いたかったのです。
彼は驚くどころか、いつものように笑顔で答えてくれました。
人前で手を握ったり、腕を組んだりしても、彼は嫌がりません。
その自然さが、私にはとても新鮮でした。
私はこれまで、人前で手をつなぐことを夫に拒絶されてきました。
「人前で恥ずかしいことするな!」と、世間の目を気にして行動する夫。
その言葉のせいで、私は“触れたい”という気持ちごと恥にしてしまった時期がありました。
だから今、彼が笑って受け入れてくれるだけで、胸の奥の凍ったところがほどけていくのを感じました。
「恥ずかしい」と言われてきた私が、今は堂々と寄り添っています。
私が彼の手を握っているだけで、心が落ち着きました。
人の目が気になるはずなのに、その日は不思議と、気になりませんでした。
彼の隣にいる自分が、やっと自然な姿に戻れたように感じたからかもしれません。
夫の「恥ずかしい」という言葉は、世間体の話のようでいて、私を小さくさせる力がありました。
私は夫の隣では、いつも“ちゃんとした妻”でいなければならなくて、触れたい気持ちも、甘えたい気持ちも、押し込めてきました。
でも彼の隣では、押し込めなくていい。
それが嬉しくて、私はますます寄り添ってしまいました。
こうして並んで歩いているだけで、私の中の「私」が息を吹き返すようでした。
富山行きの新幹線で、私は好きな気持ちを抑えられませんでした。
彼と富山行きの新幹線に乗りました。
席に座った途端、私は安心してしまって、ずっと彼にくっついたり、顔をすり付けたりしてしまいました。
子どもみたいだと思われるかもしれません。
でも私は、好きな気持ちを抑えることができませんでした。
彼の肩の温度、服の匂い、声の近さ。
それが全部、私の心の奥を満たしていく感じがして、離れたくなくなったのです。
彼はそんな私を笑って受け止めてくれて、私はその優しさにまた甘えてしまいました。
新幹線の窓の外の景色が流れていくほど、「私は今、本当にここにいる」と実感が増していきました。
一泊二日が夢のようで、終わりを考えるのが怖いくらいです。
これから彼と一泊二日の旅行をするなんて、夢のようです。
まだ富山に着いてもいないのに、私はすでに「終わってほしくない」と思っています。
楽しみが大きいほど、終わりが怖くなる。
私は幸せに慣れていないから、幸せを受け取るときにいつも、失う瞬間を先に想像してしまうのです。
それでも今は、考えすぎずに、この時間を味わいたいと思っています。
彼の手を握って、彼の笑顔を見て、好きだという気持ちを隠さずにいる。
それだけで私は、長い間閉じ込めてきた自分を、少しずつ取り戻している気がします。
富山行きの新幹線の中で、私はただ、彼の隣にいる喜びに浸っていました。
WordPress用スラッグ(英語)
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サムネイル画像生成用プロンプト(16:9)
16:9、新幹線の車内、窓から柔らかな朝の光、隣同士に座る日本人男女(女性45歳・男性40代後半)、女性が嬉しそうに手を握り寄り添っている、男性は優しく微笑む、背景に流れる車窓の景色がぼけて映る、温かく幸福感のある映画的な写実表現、淡い色調、文字入れなし。
記事タイトル案(別案)
・駅で手を握った瞬間、私はもう戻れないと思った。
・「恥ずかしい」を捨てて、私は富山行きの新幹線に乗った。
・一泊二日が始まる前から、胸がいっぱいになってしまった朝。

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