「最近きれいになったね」と夫に言われた日、私の心はもう彼のほうを向いていました。

週に二度、彼の仕事の隙間を縫って会う日々になりました。
あの日以来、私は彼の仕事の合間を縫って、週に二度ほど会うようになりました。
会うといっても、長い時間ではありません。
短い時間でも、顔を見て声を聞けるだけで、私の心は満たされてしまうのです。
私はこれまで「会いたい」という感情に動かされたことがほとんどなく、予定よりも家の都合を優先することが当たり前でした。
それなのに今は、彼に会える日があるだけで、朝の支度の手つきまで軽くなるのです。
自分でも怖いほどに、私は彼を中心に一週間を組み立てるようになっていました。
それでも家庭を壊したいわけではなく、息子たちの生活は守りたいままなので、私は自分の中で「線」を引きながら歩いているつもりでした。
夫が帰る五時までに戻る、それが私の小さなルールでした。
彼と会う日は、夫が帰宅する五時までには必ず家に戻るようにしていました。
夕方の光が傾く前に帰り、いつも通りの台所に立ち、いつも通りの妻の顔を作る。
私はその切り替えが、上手くできる人間だと思っていました。
けれど実際は、家の玄関を開けた瞬間に、胸の奥の熱を冷まさなければならず、その作業が少しずつ苦しくなっていました。
「ただいま」と言いながら、心の一部がまだ彼の車の中に残っているような感覚があるのです。
それでも私は、家族の生活を乱さないことが何より大切だと信じているので、表情を整えることをやめませんでした。
この小さなルールは、私が自分を保つための綱のようでもあり、同時に、私がどこか危うい場所を歩いている証拠のようでもありました。
月に一度だけは「告げたうえで」飲みに行き、深夜まで許されました。
月に一度は、夫に「彼と会う」と告げたうえで、彼と飲みに行きました。
その日だけは、深夜になっても大丈夫だという空気が、家の中にありました。
私はそれを「公認」という言葉で軽く扱ってはいけないと分かっていました。
けれど、許されている形を取れるだけで、罪悪感の重みが少し薄くなってしまう自分もいました。
私はずっと、夫に求める言葉や温度を受け取れないまま、家庭の中で気持ちを小さく畳んできました。
だから彼と過ごす夜は、ただ楽しいだけではなく、私が「自分に戻れる」時間になっていたのです。
月に一度の夜があることで、普段の私の顔色まで変わっていったのだと思います。
二ヶ月ほど続いた頃、夫が言った一言が私の心を露わにしました。
そんな生活が二ヶ月ほど続いた頃、夫がふいに言いました。
「最近、なんだかきれいになったね。彼といい関係だからだろうね。」と。
私は驚きましたし、同時に、胸の奥がすっと明るくなるのを感じました。
ただ、その嬉しさは「夫が褒めてくれたから」ではなかったのです。
夫の口からきれいと言われたことが嬉しいのではなく、彼と過ごす時間が私を変えたことが嬉しかったのです。
私は誰かに大切に扱われると、こんなにも表情が変わるのだと、自分自身で知ってしまいました。
夫の言葉は、私の変化を当てたというより、私の心の行き先をはっきり映してしまったようで、私は思わず黙ってしまいました。
私の心は今、完全に彼のものになっています。
私は家庭を大切にしたい気持ちが消えたわけではありません。
息子たちを愛していることも、変わりません。
それでも、私の心の重心は、気づけば彼のほうに移っていました。
朝の「おはよう」から夜の「おやすみ」まで、彼に言葉を送り、彼が受け止めてくれることで、私は自分の輪郭を保っているような気さえします。
私がきれいになったのだとしたら、それは化粧や服だけの話ではなく、「私は大切に扱われていい」と思えるようになったからなのだと思います。
そしてその感覚をくれたのは、今のところ、夫ではなく彼でした。
だから私は、夫の前では笑いながらも、胸の奥では別の名前を抱えて生きています。
この先の答えはまだ分かりませんが、少なくとも今の私は、彼でいっぱいです。

コメント