夫婦なら手をつなぐのが当たり前だと思っていた私に、夫が言った「外に彼氏を作ればいい」

夫婦は仲良くするべきだと、私はずっと信じ込んでいました
私は厳格な家で育ち、結婚して家庭を持つことが「正しい生き方」だと教えられてきました。
だから結婚してからも、夫婦は仲良くするのが当然で、むしろ仲良くしようと努力することが妻の役目だと思っていました。
好きで結婚したわけではなくても、家庭は大切にしたい気持ちはありましたし、何より子どもが生まれたら、夫婦が穏やかに支え合う姿を見せたいと願っていました。
そのため私は、「仲良くする」という言葉を、心の距離を埋めるための合言葉のように握りしめていたのだと思います。
自分の不安や寂しさを見ないふりをして、形からでも夫婦らしくなろうとしていました。
今振り返ると、それは愛情というより、崩れそうなものを必死に支える行為だったのかもしれません。
手をつなぐことは、私にとって「つながっている確認」でした
街を歩くとき、私は自然に夫の手を探してしまいました。
車の中でも、信号待ちのときにそっと手を伸ばして、指先が触れるだけでほっとしたのです。
手をつなぐことは、私の中では甘えではなく、「私たちは夫婦です」と自分に言い聞かせる確認作業のようなものでした。
会話が少ない日でも、目が合わない日でも、手のぬくもりがあれば大丈夫だと思いたかったのです。
それに私は、夫婦なら人前で手をつなぐことも、寄り添うことも、珍しいことではないと信じていました。
むしろ、冷えた空気のまま黙って並ぶ方が不自然だと感じていました。
だからこそ、私が手をつなごうとするたびに夫が身を引く小さな動きが、胸に突き刺さりました。
「もう大人なんだからやめろ!」の一言で、心が置き去りになりました
ある日、いつものように手をつなごうとしたとき、夫は強い口調で言いました。
「もう大人なんだからそんなことはやめろ!」と。
その言葉は、私の手だけではなく、私の気持ちごと振り払われたように感じました。
恥ずかしいという感覚よりも、まず「私は変なのだろうか」と頭が真っ白になりました。
夫婦として当たり前だと思っていたことが、夫にとっては「みっともないこと」だったのだと知った瞬間、私の中の常識が崩れました。
それでも私は、その場で何も言い返せませんでした。
厳格な家で育った私は、強い言葉を向けられると反射的に黙ってしまう癖があり、説明する前に、謝ってしまうような人間になっていたのです。
振り向いてほしくて、私は余計に近づいてしまいました
手をつなぐのを拒まれたあと、私は逆に、夫のそばに寄ってしまいました。
車の中で肩を寄せたり、家の中ですれ違うときに体を近づけたり、ほんの少しでも触れられたら安心できる気がしたのです。
それは「好き」というより、「拒否されない場所」を探すような必死さでした。
夫の気持ちを尊重して距離を取ることが大人なのかもしれないのに、私は距離を取った瞬間に夫婦が終わってしまうような怖さがありました。
誰にも頼れず、寂しさをうまく言葉にできず、だから行動で埋めようとしてしまったのだと思います。
私の中には、「私は妻なのだから、そばにいていいはず」という思い込みもありました。
でも現実は、その思い込みが強いほど、夫の心が遠ざかっていくように感じられました。
「外に彼氏を作ればいいじゃないか」と言われた瞬間、足元が崩れました
そして決定的な言葉が、ある日夫の口から出ました。
「そんなにくっつきたいなら、外に彼氏を作ればいいじゃないか」と。
冗談のように言われたのかもしれません。
けれど私には、突き放しでもあり、嘲笑でもあり、「お前の気持ちは面倒だ」という宣告のようにも聞こえました。
夫婦でいる意味が、私の中でぐらりと揺れました。
私はただ、夫に振り向いてほしかっただけなのに、夫から返ってきたのは「俺じゃなくていいだろう」という言葉だったのです。
その瞬間、胸の奥が冷たくなり、涙が出そうなのに出てこない、変な感覚になりました。
怒りより先に、「私はここにいてもいいのだろうか」という不安が押し寄せました。
私は「愛されたい」を、上手に伝えられないまま妻になっていました
今なら少し分かります。
私が求めていたのは、手をつなぐ行為そのものではなく、安心でした。
「私はあなたの味方です」「あなたにとって大切な人でいたいです」という気持ちを、私はうまく言葉にできず、手や距離で表現しようとしていました。
けれど夫は、私のその表現を「子どもっぽい」「恥ずかしい」と感じたのかもしれません。
結婚はしたけれど、二人の「愛情表現の言語」が違っていたのだと思います。
そして私は、違いを話し合う前に「妻だから我慢すべき」と自分を縛ってしまいました。
我慢は家庭を守ると思っていたのに、我慢は私の心を少しずつ乾かしていきました。
この出来事が教えてくれたのは、夫婦でも「気持ちは別々」だということでした
夫婦だから仲良くするのは当然、という考えは、今でも私の根っこに残っています。
けれど「当然」と思った瞬間から、相手の気持ちを確かめる作業を省いてしまうのだと知りました。
私は、夫も同じ温度で同じ形の仲良さを望んでいると信じていたのです。
でも夫には夫の恥ずかしさや、距離感や、疲れ方があったのかもしれません。
それを知らずに手を伸ばし続けた私は、結果的に夫の心を追い詰めてしまったのかもしれないと、今は思います。
ただ、それでも言いたいのです。
「外に彼氏を作ればいい」という言葉は、相手を傷つける強さを持っていました。
夫婦のすれ違いは仕方がないとしても、相手の寂しさを笑うような言い方は、心に深い傷を残します。
私が今、あの頃の自分にかけたい言葉があります
もしあのときの私に言えるなら、「あなたが求めたぬくもりは間違いではない」と言ってあげたいです。
そして同時に、「ぬくもりを求めるなら、まず自分の寂しさを言葉にしていい」とも伝えたいです。
私は手をつなぐ前に、「最近、少し寂しいです」と言うべきだったのかもしれません。
拒まれる怖さがあっても、自分の気持ちを丁寧に扱うことは、わがままではありません。
家庭を大切にしたいならなおさら、笑ってごまかすより、傷ついた心を認める方が、長い目で見て守りになるのだと思います。
この出来事は痛かったです。
でも私は、痛みをなかったことにせず、言葉にしていくことで、少しずつ自分を取り戻していこうとしていたのです。

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