「女性用風俗にでも行けばいい」――夫の一言で心が壊れた日。

あの日、私は「夫婦だから」と信じてお願いしました。
私はずっと、夫婦は仲良くするべきだと信じ込んで生きてきました。
厳格な家で育った私は、「家庭がうまくいくこと」が女の価値のように刷り込まれていて、寂しさや不満を口にするのはわがままだと思ってしまう癖があります。
それでも、心のどこかでずっと、夫に求められたい、抱きしめられたい、ただ近くにいてほしいという願いが消えませんでした。
だからこそ私は勇気を出して、「週に二回くらい、抱いてほしいです」と、夫に言葉でお願いしたのです。
責めたかったわけではなく、夫婦としてつながりを取り戻したかっただけでした。
言い方も選びましたし、重くならないように笑ってみせたのに、胸の奥では手が震えていました。
返ってきたのは、私の心を切り捨てるような言葉でした。
夫は私の顔を見て、ため息のように短く笑ってから、「それなら女性用風俗にでも行けばいい!」と言いました。
一瞬、意味が理解できなくて、耳だけが熱くなりました。
次の瞬間、血の気が引いて、景色が薄くなったように感じました。
私は夫に触れてほしいと伝えただけなのに、夫は「俺じゃなくていい」と言ったのです。
それは、私の存在そのものを拒まれたような痛みでした。
夫婦としての会話の延長ではなく、私の願いが“面倒な要求”として投げ返された気がして、胸の内側が音を立てて崩れていきました。
あの言葉は乱暴で、冗談で済ませられる種類のものではありませんでした。
心が壊れた、という表現が大げさではない夜でした。
その日は、涙が出るのに呼吸が浅くて、うまく泣けませんでした。
台所に立っても、手が止まって、何をしようとしていたのか分からなくなりました。
私の頭の中では、「妻として失格なのかな」「求めること自体が恥なのかな」と、自分を責める言葉だけがぐるぐる回っていました。
本当は怒っていいのに、私は怒りより先に、置いていかれる怖さに飲み込まれてしまったのです。
夫の言葉を思い出すたびに、胸がきゅっと縮んで、体が冷えていきました。
“抱いてほしい”は、私の中では“愛されていると感じたい”と同じ意味だったのに、その翻訳が夫には届かなかったのだと思います。
私が欲しかったのは行為ではなく、私を大切にしているという実感でした。
誤解されたくないのですが、私は刺激や特別なことを求めていたわけではありません。
ただ、夫の腕の中で安心したかったのです。
「今日もお疲れさま」「大丈夫だよ」と、言葉にしなくても伝わるような、ぬくもりが欲しかっただけでした。
子どもが生まれてから私は、母としての役割に追われて、妻としての感情を後回しにしてきました。
それでも心の奥には、女として見てほしい、ひとりの人間として求めてほしい、そんな小さな願いが残っていました。
それをやっと口にした日に、夫から突き放されるような言葉が返ってきたことで、私は「私にはもう価値がないのかもしれない」とまで思ってしまいました。
夫の言葉で傷ついたのに、私はまだ家庭を壊したくないと思っていました。
私の中には、家庭を守りたい気持ちが強くあります。
息子たちを愛していますし、家の空気が冷えきってしまうのも怖いです。
だからこそ、私は自分の傷を隠して、いつも通りに振る舞おうとしてしまいました。
けれど、笑顔を作るほど心が空洞になっていく感覚がありました。
夫に寄り添いたいのに、寄り添う場所がなくなってしまったような寂しさが、夜になるほど強くなりました。
「夫婦だから分かり合えるはず」という思い込みがあった分、現実との差が痛くて、私は自分の気持ちの置き場を失っていたのだと思います。
あの一言は、私にとって“拒絶”であり、“見捨てられた”と感じるほどの重さでした。
それでも私が今、あの日の私に言いたいことがあります。
あの日の私に声をかけるなら、「あなたの願いは恥ではありません」と伝えたいです。
「触れてほしい」と願うことは、誰かを支配したい気持ちではなく、つながりを求める自然な気持ちです。
そして同時に、「傷ついたなら、傷ついたと言っていい」とも言いたいです。
夫の言葉が私を壊したのなら、壊れたまま我慢して“なかったこと”にしないでいいのです。
私はその時、少しずつ、自分の心を言葉にする練習をしていこうと思っていました。
夫の反応が怖くても、私の尊厳まで差し出してしまわないように、境界線を引くことを覚えたいと思っていたのです。

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