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自己肯定感が折れた私を拾い上げた、たった一言

「俺が唯一愛してる人だよ」――自己肯定感が折れていた私を、彼の言葉が抱き上げた夜。

忙しい彼が、それでも私の時間に合わせてくれる理由。

彼はIT系の会社を経営していて、ある程度の時間は自由になるけれど、基本的には忙しい人です。
打ち合わせや判断ごとが途切れず、スマホの通知も鳴り続けるような生活の中で、それでも彼は私の時間に合わせて会ってくれます。
私はそれがありがたくて、嬉しくて、同時に怖くもなります。
「私なんかのために無理してない?」と聞いてしまったのは、感謝というより、信じきれない気持ちが混ざっていたからです。
私は長い間、夫の言葉の中で自分の価値を小さくされ続けてきました。
だから「大切にされる」ことが、嬉しいほどに落ち着かないのです。

「私なんか?」と言った私に、彼は真っ直ぐ返してくれました。

私がそう尋ねると、彼は笑いも誤魔化しもなく言いました。
「私なんか?俺が唯一愛してる人だよ!」と。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなりました。
私は“褒められたい”というより、“否定されない場所”が欲しかったのだと思います。
だから、まっすぐ肯定されると、涙が出そうになるのに、すぐには受け取れませんでした。
私は反射的に「ごめんね」と謝ってしまいました。
自分を小さくする癖が、まだ抜けていないのです。

そして私は数分後に、また自分を下げる言葉を言ってしまいました。

「ごめんね」と言った数分後、私はまた「私なんかを色々なところに連れて行ってくれてありがとう」と言ってしまいました。
感謝のつもりでした。
でも、彼の目にはすぐに見えたのだと思います。
彼は穏やかに、「今、自己肯定感が低くなってるんだね」と言ってくれました。
私はその一言に、はっとしました。
私は感謝を伝えたいのに、感謝の形がいつも「私なんか」という自分下げになってしまっている。
それは礼儀ではなく、私の癖で、傷の形でした。

夫の人格否定が、私の言葉を歪めていたのかもしれません。

最近、夫から人格否定をされることが多いのです。
「お前なんかに俺の苦労がわかるのか!」
「お前なんか、俺の稼ぎの足元にも及ばないクセに!」
「自惚れるな!」
こういう言葉を浴び続けると、人は自分で自分を守るために、先に小さくなってしまうのですね。
傷つく前に謝る。
否定される前に自分を下げる。
私はずっとそれで家庭の空気を保ってきました。
でも、その代償として、私は自分の価値を自分で信じられなくなっていました。
だから私は、彼の前でも「私なんか」が出てしまうのだと思います。

「それは旦那さんが君に依存しているからだね」と彼は言いました。

私が夫の言葉を話すと、彼は落ち着いた声で言いました。
「それは、旦那さんが君に依存しているからだね」と。
そして続けて、「何を言っても許されると思ってるから、そんなことが言えるんだよ。それは甘えであって依存なんだよ。甘えん坊の子どもと同じ」と。
さらに「弱い人間はね、弱いものには強く当たるんだよ」とも。
その言葉は少し残酷にも聞こえました。
でも私は、なぜか救われました。
夫の言葉を私の価値の証明にしなくていい、と言われた気がしたからです。
“あなたがダメだから言われる”のではなく、“相手の弱さがそうさせている”のだと。

夫は家で強く、外で頭を下げる。その姿が重なりました。

確かに夫は、私や子どもには強く当たるくせに、職場ではペコペコ頭を下げることの多い仕事です。
家の外では「ちゃんとした人」を演じ、家の中でストレスを吐き出す。
その構図に、私は心当たりがありました。
私が黙って受け止めてきたから、夫は安心して吐き出せたのかもしれません。
私はそれを“夫婦だから”と受け入れてきました。
でも今は、受け入れるべきものではないと感じます。
夫婦は吐き出し口ではなく、対等に尊重し合う関係であるはずだからです。

結婚を後悔しながら、それでも子どもを思う私がいます。

私は時々、「結婚しなきゃよかった」と思います。
けれどすぐに、「結婚したから今の子どもがいる」と思い直してしまいます。
この矛盾は、私の中でずっと揺れています。
夫との結婚が私を苦しめたのは事実です。
でも息子たちの存在は、私の人生のいちばんの宝物です。
だから私は、過去を全部否定したいわけではありません。
ただ、これからの私の人生まで犠牲にしたくないのです。

早く夫から離れて、彼のもとで暮らしたい――その願いが強くなっています。

彼の「唯一愛してる人だよ」という言葉と、夫の「お前なんか」という言葉。
この落差の中で生きるのは、もう限界に近いと感じます。
私は、早く夫から離れて、彼のもとで暮らしたいと、強く強く思います。
ただ、その願いを叶えるためには、彼の言葉だけに頼るのではなく、私自身が自分の人生を選ぶ準備をしなければいけません。
自己肯定感を取り戻すこと。
息子たちの生活を守りながら、現実を動かす手段を持つこと。
私は今、彼に救われながら、もう「私なんか」ではなく、「私も大切にされていい」と言える私になろうと思います。

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