ワインバーを出た夜、彼がそっと手をつないだ――二軒目へ向かう途中の私の心。

初めてのデートは、足元が少しふわふわしていました。
彼と会う日が来てしまった朝から、私はずっと落ち着きませんでした。
仕事をしている間も、心のどこかがそわそわしていて、時計を見るたびに胸がきゅっと縮みました。
家庭を大切にしたい気持ちはあります。息子たちを愛していることも、揺らぎません。
それでも、私の中に「ひとりの女性」としての感情が確かに残っていて、それが今日という日に反応してしまうのです。
待ち合わせの時間が近づくほど、私は自分をなだめるように深呼吸を繰り返しました。
緊張で手のひらが少し湿っているのに、どこか嬉しくて、怖くて、笑ってしまいそうで、心が忙しいまま彼の姿を探していました。
一軒目のワインバーで、彼の優しさが少しずつ沁みてきました。
一軒目はワインバーでした。
薄暗い照明と、静かな音楽、グラスが触れる小さな音。そういう落ち着いた空気の中で、私の緊張は少しずつほどけていきました。
最初の彼は、どこかよそよそしく見えました。私も同じだったと思います。
私たちは既婚者で、立場もあって、越えてはいけない線があることを互いに分かっているからこそ、言葉の温度を慎重に選んでいたのだと思います。
けれど、ワインを飲みながら話していくうちに、彼の“聞き方”がいつも通り丁寧だと気づいて、私の心の力がふっと抜けました。
私の言葉を遮らず、否定せず、急かさず、ただ受け止めてくれる。
その当たり前の優しさが、なぜこんなに胸に響くのか分からないふりをしながら、私は何度もグラスに口をつけていました。
「優しくされると弱くなる」自分を、私は止められませんでした。
会話が弾んだというより、私の中の固い部分が溶けていった、という感覚でした。
私は家庭の中で、気持ちを言葉にするたびに、どこかで諦めてきたと思います。
夫に求めたら、突き放される。近づいたら、拒絶される。そんな経験が積み重なると、人は期待すること自体を怖がるようになります。
だから私は、彼の優しさを受け取った瞬間に、自分でも驚くほど安心してしまいました。
「そう感じるのは自然ですよ」と言われたような気がして、心の中にあった“私が悪いのかな”という責めが、少し薄くなっていったのです。
でもその薄くなった分だけ、私は危うくもなりました。
この人の前だと、弱い自分が出てしまう。
そのことが嬉しくて、同時に怖くて、私は笑いながら何度も自分の足元を確かめていました。
ワインバーを出た瞬間、街の人波が現実を押し寄せさせました。
お店を出ると、夜の街は想像以上に人が多くて、現実が一気に押し寄せました。
外気の冷たさと、ネオンの光と、人の声。
店の中では落ち着いていた気持ちが、急にざわざわして、私は自分の体温が上がるのを感じました。
二軒目に向かうだけなのに、私は少し緊張していました。
このまま、どこまで行ってしまうのだろう。
私は大人で、母で、妻で、生活があるのに。
なのに私は今、誰かと並んで歩くだけで、心が落ち着かなくなっている。
その事実が、嬉しいのに怖くて、私は歩く速度さえ上手に調整できませんでした。
そのとき、彼がさり気なく私の手をつないでくれました。
彼は言葉を多く使いませんでした。
人混みの中で、私が少しだけ歩きにくそうにした瞬間だったと思います。
彼の手が、さり気なく私の手を探して、自然につながりました。
驚くほど自然で、迷いがない感じでした。
私はびっくりして、一瞬息が止まりました。
でも次の瞬間、胸の奥がじんわり熱くなって、手のひらがふっと柔らかくなりました。
人前で手をつなぐこと。
それは私が、夫に拒絶されて以来、ずっと遠ざけていたことでした。
「もう大人なんだからやめろ」と言われたあの瞬間から、私は“触れたい”という気持ちごと、恥に変えてしまったのです。
だから、その手のぬくもりは、私の中の凍ったところに直接触れてしまいました。
嬉しさがこみ上げるのに、私は声にできませんでした。
私は嬉しかったです。
ただそれだけなのに、嬉しいという言葉にすると、何か大切な境界線を壊してしまいそうで、声にできませんでした。
手をつないで歩くという小さな行為が、こんなにも私を揺らすなんて、私自身が一番驚いていました。
私は握り返したかったのに、握り返したら「もっと先」を望んでしまいそうで、少しだけ躊躇しました。
でも手を離すのも、怖かったのです。
私は今、優しさに触れてしまった。
この優しさを受け取ると、私は戻れなくなるかもしれない。
そんな恐れと、それでも温かい方へ寄りたい気持ちが、手のひらの中でせめぎ合っていました。
二軒目へ向かう道の途中、私は言葉ではなく、手の温度だけで、自分の気持ちを確かめていました。

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