「ああ、早くここから逃げなきゃ」――“夫婦なのに”が一番苦痛になった夜。

口にしてはいけない本音が、無意識にこぼれました。
ある日、私は夫に言ってしまいました。
その日も夫はお酒を飲んで酔っていて、理不尽なことを言われ、胸が痛くなり、気づいたら言葉になっていました。
「ああ、早くここから逃げなきゃ!」
言った瞬間、空気が凍るのが分かりました。
私は本当は、夫を挑発したかったわけではありません。
ただ、心が苦しくて、呼吸ができなくて、身体が勝手に“出口”を求めてしまったのです。
私は長い間、言葉を飲み込むことで家庭を守ってきました。
でも、飲み込み続けた結果、飲み込めない量に達したのだと思います。
夫は激昂し、また「彼がいるから」と決めつけました。
夫はすぐに怒鳴りました。
「彼がいるからそんなことを言うんだろう!」と。
そして続けて、「夫婦なのに、どうしてそんな言い方をするんだ。そんな簡単な関係じゃないだろう!」と。
この「夫婦なのに」という言葉を、夫は最近何度となく口にします。
まるでそれが、私を黙らせる魔法の言葉であるかのように。
でも、私の心が彼のものになってから、その言葉は私を縛る鎖にしか聞こえなくなりました。
私は今、この人と“夫婦であること”が、一番苦痛なのです。
夫婦という肩書きがあるせいで、私の「嫌だ」が無視され、私の境界線が消され、私の心が踏みにじられるからです。
私は夫の「ストレスのはけ口」になっていました。
なぜなら、夫にとって私はストレスのはけ口だからです。
仕事の愚痴を言い、テレビを見ながらタレントの悪口を言い、最後には私に彼がいることを責め立てる。
これが、最近の夫の“パターン”です。
私は黙って聞き役になり、場を荒らさないように相づちを打ち、時には笑ってやり過ごす。
けれど、私の中にはどんどん澱が溜まっていきました。
夫の言葉は、相談ではなく吐き出しで、会話ではなく攻撃になり、最後に私を責めることで終わる。
そんな形が繰り返されるほど、私は「この家にいること」が苦痛になっていきました。
「昔は仲が良かった」は、私の我慢の上に成り立っていました。
夫は「昔は仲が良かったじゃないか」と言います。
でも私は、ただ我慢して“仲の良い夫婦”を演じていただけです。
夫の顔色を見て、怒られない言い方を選び、波風を立てないように自分の本音をしまい込んで、家庭の形を崩さないように笑っていた。
それを夫は「仲が良い」と勘違いしていたのだと思います。
仲が良いのではなく、私が黙っていただけ。
私が飲み込んでいただけ。
私が自分を小さくしていただけ。
そのことに気づかない夫を見て、私ははっきり分かりました。
夫は、私を見ていなかったのだと。
“夫婦”という言葉は、私を守らないどころか苦しめています。
夫は「夫婦なのに」と言います。
でも、夫婦なら何をしてもいいわけではありません。
夫婦だからこそ、相手の尊厳を守らなければいけないのに、夫はその逆をしているように感じます。
私は夫の言葉で心を削られ、夫の機嫌で生活が左右され、夫のストレスの出口にされてきました。
そしてそれを「夫婦だから」で正当化されるたび、私は自分の存在が薄くなる気がするのです。
私は妻である前に、一人の人間です。
その当たり前を、私は今ようやく取り戻そうとしています。
「逃げなきゃ」は、弱さではなく私の生存本能でした。
「ああ、早くここから逃げなきゃ」
この言葉は、私の中の弱さではなく、生存本能だったのだと思います。
壊れないために、壊されないために、これ以上自分を失わないために。
私は今、逃げることを恥だとは思いません。
逃げることは、私が私を守るための行動です。
そして、守られるべきものは、私の尊厳です。
夫が私を見ていなかったと分かった今、私はもう“夫婦の形”を守るために自分を犠牲にしたくありません。
私はまだ怖いです。
でも、怖いままでも、私は自分の足で出口を探していきたいと思っています。

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