週末が苦しい――「会えない3日」が私の心を壊しそうになる。

土曜・日曜・月曜は、私にとっていちばん長い三日です。
週末が苦しいです。
土曜と日曜は夫が家にいて、月曜は仕事が夕方までなので、この三日は彼に会えないことが多いです。
たった三日。
でも今の私にとっては、息が浅くなるほど長く感じます。
家の中はいつも通りで、息子たちのこともあって、やることは山ほどあるのに、心の一部だけが落ち着かず、ずっと彼の方を向いてしまうのです。
私は以前、週末を「家族の時間」としてやり過ごすことができていました。
けれど今は、家族の時間の中にいるほど、彼が恋しくなって、胸の奥がざわざわしてしまいます。
まるで、心だけが檻の中で壁を叩いているような感覚です。
夫の「公認」は月に一度だけで、他の日は知られていません。
月に一度、夫公認で土曜に彼と飲みに行きます。
でも平日に彼と会っていることを、夫は知りません。
だから夫は、私は「月に一度飲みに行くだけ」で、これだけ彼にのめり込んでいることを不思議に思っているかもしれません。
実際、夫は私を見て「最近きれいになったね」と言ったこともありました。
その言葉は、夫が私の内側の変化に気づいている証拠でもあります。
私は夫に隠しているつもりでも、心の重心は、表情や声の温度に滲んでしまうのですね。
だから週末、夫と同じ空間に長くいるほど、私は「見透かされる」怖さも抱えることになります。
10ヶ月という時間の中で、夫の理解と現実は大きくずれていきました。
彼と会い始めてから、今月で10ヶ月です。
夫は、月に一度彼と飲みに行き、一泊の旅行に二度行っただけ――そう思っているはずです。
でも現実は違います。
私は週に最低3回は彼に会い、多いときには5回会う週もあります。
旅行にも3回行っています。
この「夫が知っている私」と「本当の私」の差が、積み重なるほど私は二重生活のようになっていきました。
表向きは妻として、母として、家庭を整える。
その裏で私は、彼を求め、彼の温度で息をする。
この二つの私を行き来することが、最近は上手ではなくなってきました。
嘘をつくことに慣れてしまうのが怖いのに、慣れないと回らない現実もあって、私は自分の心を持て余しています。
「週に3回会わないと平穏でいられない」自分が、今いちばん怖いです。
今は、週に3回は会わないと、平穏な心が保てないほどになっています。
この状態は、恋のときめきというより、心の酸素のようです。
会える日があると落ち着く。
会えないと苦しくなる。
私はそれを「好きだから」と説明したいのに、好きの範囲を超えている気がして、自分でも怖くなります。
彼といると私は救われます。
でも救いが強いほど、依存になってしまう危うさもあります。
私は、離婚届をもらってきた頃から情緒が不安定になっているのかもしれません。
夫との関係の緊張、家庭の責任、未来への不安。
それらが全部重なって、彼という“温度”にすがってしまっているのだと思います。
だから週末、彼に会えない三日が苦しいのは、恋しさだけではなく、私の心が持ちこたえる支えが減るからなのかもしれません。
週末の苦しさは「彼に会えない」だけでなく「私に戻る」時間でもあります。
週末が苦しいのは、彼に会えないからだけではありません。
彼に会えない時間は、私が「妻に戻る」時間でもあるからです。
夫の隣でご飯を食べ、会話を合わせ、平気なふりをして過ごす。
そのふりをするほど、自分の中の本音がざわついて、「私はどこへ行けばいいの?」と問いかけてくるのです。
私は本当は、彼の温度の中にいたい。
でも私は母でもあり、家庭を守りたい気持ちもある。
この矛盾を抱えたまま、週末の家の空気に身を置くのが、今の私にはいちばん苦しいのです。
それでも私は、現実の中で自分を壊さない方法を探したいです。
私は彼を好きです。
好きという言葉では足りないほど、彼に救われています。
でも同時に、週に3回会わないと平穏が保てない自分を、このまま放置してはいけないとも思っています。
彼に会えない日にも、自分を落ち着かせられる方法が必要です。
短い散歩、深呼吸、紙に気持ちを書く、信頼できる人に話す、少しだけ仕事に集中する。
そういう小さな支えを増やさないと、私は彼を好きなまま、彼に寄りかかりすぎてしまう気がします。
週末の三日を「苦しいだけ」で終わらせないために、私は私の心の居場所を、彼以外にも作っていきたいです。
それができたとき、私は彼を“必要だから”ではなく、“大切だから”会えるようになる気がしています。

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