夫の隣から離れた夜、私は「離婚届」という言葉を初めて現実として思いました。

夫の隣で食べることが、当たり前すぎる習慣になっていました。
私は結婚してからの二十数年間、家での食事はいつも夫の隣に座って食べてきました。
肩と肩が触れ合うような距離が、わが家の「普通」でした。
彼と付き合っている今でも、その座り方だけは習慣として続いていて、私はそれを変える発想すら持っていませんでした。
毎晩お酒を飲んで酔いが回り始めた夫が、私の手を握ったり、肩を抱くことは、彼と知り合うまでは、当然のことだと考えていましたが、今は、耐え難い嫌悪感に変わっています。
私は食卓の時間が怖くなっていきました。
表面上はいつも通りの夕食なのに、私の内側だけが、じわじわと緊張で固まっていくのです。
「妻なんだから」と言い聞かせてきた私の癖が、今はもう、私を守ってくれなくなっていました。
彼を愛するようになってから、夫の触れ方が耐えられなくなりました。
彼に身を任せるようになり、彼を心から愛するようになってから、夫に触れられることが気持ち悪くて耐えられなくなりました。
この変化は、私自身がいちばん驚いています。
夫を嫌いになったというより、夫の触れ方に「従わされる感覚」や「支配される怖さ」が重なって見えるようになってしまったのです。
私はついに「気持ち悪い!」と言ってしまいました。
夫には悪いと思いますし、言葉として強すぎたとも分かっています。
それでも、あの言葉は取り繕いではなく、私の本心でした。
本心が出てしまうほど、私の心と体がもう限界に近い場所まで来ていたのだと思います。
私は食卓の席を変えることにしました。
私は、食事のときに座る場所を夫の正面に移動することにしました。
夫が手を伸ばしても私に触れることの出来ない距離を、私自身が作るためです。
怒鳴られるかもしれない、空気が悪くなるかもしれない、そんな予感はありました。
それでも私は、毎晩の「触れられる恐怖」に耐え続けるより、まず距離を確保しようと思ったのです。
正直に言うと、これは夫への仕返しでも罰でもなく、私が私を守るための、最小限の工夫でした。
たった席を変えるだけなのに、胸がどきどきしていました。
夫は激怒し、同時に懇願してきました。
その日の夕食時、いつもと違う場所に座る私を見て、夫は激怒しました。
そして驚いたことに、怒りと同時に「もう一度、やり直せないか。戻ってくれないか」と懇願もされました。
以前の私なら、その言葉に少し揺れたと思います。
「夫婦だから」「家庭だから」と、自分を納得させる材料にして、また同じ場所に座ったかもしれません。
けれどその時の私は、気持ち悪さ以外、何も感じなくなっていました。
懇願の言葉の奥に、私の気持ちを理解しようとする姿勢ではなく、夫の都合に戻したい圧力だけが見えてしまったからです。
私は「それは無理です」と、はっきり断りました。
夫の怒鳴り声で、私は「離婚届」を現実として思いました。
私が断ると、夫の怒りは頂点に達し、「離婚したいならすればいい。離婚届を持って来い!」と怒鳴りました。
さらに「男がいるからって、調子に乗るな!」と、子供部屋にまで聞こえるような大声で叫んだのです。
私はその言葉を聞きながら、怖さより先に、心の中がすっと冷えていく感覚がありました。
ああ、もう会話にはならないのだ、と理解してしまったのです。
そして私は心のなかで、明日、離婚届をもらってこよう、と具体的に思いました。
決意というより、ずっと先延ばしにしてきた現実が、ようやく目の前に落ちてきたような感じでした。
私はまだ、家族の形をどう守るのか、息子たちにどう向き合うのか、整理できていません。
それでも、私が私の尊厳を守るために一歩動いた夜だったことだけは、確かに覚えています。

コメント