楽しかった旅が終わるとき、こんなにも寂しいんだと初めて知りました。

富山駅近くの小料理屋で、最後の昼食を噛みしめました。
日が沈み、富山の町並みが暗がりに包まれる頃、富山駅から歩いて20分ほどのところにある雰囲気の良い小料理屋で、夕食を済ませました。
旅の終わりが近いと分かっているだけで、同じお酒の香りも、いつもより切なく感じてしまいます。
私は料理の味を覚えておこうと必死なのに、結局いちばん強く残るのは、彼の横顔と、私の言葉を受け止めてくれる間の取り方でした。
「美味しいね」と言うだけで、彼が嬉しそうにうなずく。
その小さなやり取りが、旅の締めくくりにふさわしい宝物みたいに思えて、私はグラスを置くのが惜しかったです。
新幹線の中で手をつないだまま、思い出を反芻しました。
帰りの新幹線に乗ってから、私と彼はずっと手を繋いだまま、旅行の楽しかった思い出を語り合いました。
環水公園のカフェラテや、富山城、路面電車、小料理屋の日本酒――ひとつひとつを言葉にするたび、もう一度その瞬間に戻れる気がして、私は何度も笑ってしまいました。
夫に「人前で恥ずかしいことをするな」と拒まれてきた私にとって、手をつないで帰ること自体が、旅の余韻の一部でした。
人の目より、彼の温度が大事だと思えることが、こんなにも私を満たすなんて、私は知らなかったのです。
自宅に近づくほど、口数が減り、寂しさだけが増えていきました。
でも、新幹線が自宅に近づく頃、二人の口数は少なくなりました。
さっきまで笑っていたのに、景色が見慣れた色に変わるほど、胸の奥がじわじわ冷えていくようでした。
旅先では、私は「妻」を演じなくてよかった。
言葉を飲み込まなくてよかった。
けれど帰り道は、現実が窓の外から追いついてくる感じがして、私は無意識に彼の手を強く握っていました。
楽しすぎた時間が終わるとき、こんなにも寂しい気持ちになるんだということを、私は初めて知りました。
幸せが大きいほど、終わりが痛いなんて、私は今まで体験したことがなかったのです。
駅で別れる瞬間、彼の「ありがとう」が私の胸に刺さりました。
駅で、お互いが別方向に帰る時、彼が私に言いました。
「一緒に来てくれて、ありがとうね。楽しい時間をありがとう。」
その言葉を聞いた瞬間、私は戸惑いました。
旅行の計画も、旅費も食費も、何もかも彼が出してくれたのに、私がお礼を言われるなんて思っていなかったからです。
私が「私の方こそ…」と慌てて言うと、彼は少し笑って「俺はお金を出しただけ。ずっと笑顔でいてくれたから、ずっと楽しかったよ。ありがとうね。」と言いました。
相手を喜ばせた“結果”ではなく、私の“存在”そのものを受け取ってくれるような言い方で、私は息が詰まりそうになりました。
「こんなお礼の仕方」を知らなかった私は、彼をもっと好きになりました。
私は、こんなお礼の言い方を知りませんでした。
家庭の中では、私が何かをしても当たり前のように受け取られ、少しでも足りないと責められることが多かったからです。
だから、ただ笑っていただけの私に「ありがとう」と言われたことが、胸の奥の価値観を揺らしました。
私は“役に立ったから”大切にされるのではなく、“そこにいるだけで”大切にされてもいいのかもしれない。
そう思った瞬間、旅行前の何倍も彼が好きになってしまいました。
帰り道の寂しさは、きっとこの優しさを失うのが怖いという気持ちの裏返しです。
私はその怖さごと抱えながら、彼の背中を見送っていました。

コメント