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旅先の景色を共有したかったのは、夫ではなく彼でした

夫と旅をしながら、心は彼と旅をしていた。

夫との旅行なのに、私は「彼に報告する旅」を始めていました。

夫との旅行中も、私は隙を見ては彼にメッセージを送りました。
「今、新幹線に乗ったよ。」「到着したよ」「旅館にチェックインしたよ」「これから、飲むよ」。
ただ、その短い言葉の前には、いつも見えない注釈がついてしまうのです。
――夫と、という言葉です。
私は送信ボタンを押すたびに、胸がちくりと痛みました。
彼は、どんな気持ちで読んでいるのでしょう。
私が「夫と」という現実を抱えたまま、彼の時間に入り込むことは、優しさではなく残酷なのかもしれないと、旅の車内で何度も思いました。
それでも送ってしまうのは、私が彼の反応で息をしているからだと思います。
返事が来るだけで心が軽くなり、「私はここにいていい」と思えてしまう自分がいました。

私は夫と並んで座りながら、心の中では彼と手をつないでいました。

旅は、夫婦にとって特別な時間のはずです。
けれど私の中では、夫と旅行をしているのに、気持ちは彼と旅行をしているようでした。
景色が変わるたびに、夫ではなく彼に見せたくなりました。
駅のホームの空気、窓の外に流れる雲、旅館に入った瞬間の木の匂い。
私はそれを夫と共有しているはずなのに、心の中心には彼がいて、私は彼の目線でこの旅を見ようとしていました。
罪悪感がないわけではありません。
でも、「夫婦だから」という言葉で自分を縛ってきた長い年月のあとに、心が勝手に選ぶ相手が現れてしまったのだと思います。
私は自分の心を制御できる大人のはずなのに、気づけば心は彼の隣に座り直していました。

写真でつながるたびに、私は旅の主役をすり替えていました。

私は美味しいものの写真を撮って、彼に送りました。
「美味しそうだね」と返ってくるだけで、私はその味をもう一度噛みしめるような気持ちになりました。
きれいな景色も写真に撮って送り、彼と共有しました。
その瞬間だけ、私は本当に彼と一緒に旅をしているような錯覚に浸れたのです。
夫は隣にいて、同じ料理を食べ、同じ景色を見ているのに、私の胸の奥では「今この瞬間を彼と分け合っている」という感覚が勝っていました。
それは、夫を馬鹿にしたい気持ちではありません。
ただ、夫との間に育たなかった温度を、私は彼とのやり取りで補ってしまっているのだと思います。
写真は証拠ではなく、私の逃げ道になっていました。

夫とはいつも通りに笑い、私は「妻」を丁寧に演じました。

夫とは、いつも通りの会話をしました。
「疲れたね」「お腹空いたね」「美味しいね」と、私は笑顔で返しました。
表面だけ見れば、きっと普通の夫婦旅行だったと思います。
けれどその笑顔は、心から溢れたものというより、「乱さないための表情」でした。
私は昔から、家の空気を守るために、自分の気持ちを後ろへ下げるのが得意でした。
旅先でも同じで、夫の機嫌を損ねないように、会話の温度を整え、間を埋め、無難に進めました。
ただ、それはあくまでも妻を演じているに過ぎませんでした。
演じれば演じるほど、私は自分の本音がどこへ行ってしまうのか分からなくなり、だからこそスマホの中の彼の言葉にしがみついてしまったのです。

一泊の旅の終わりに残ったのは「早く彼に会いたい」という一つの願いでした。

一泊の旅行でした。
それでも私は、旅の途中からずっと「早く帰って彼に会いたい」と考えていました。
観光の予定よりも、旅館の時間よりも、帰りの新幹線の時刻が気になりました。
夫との旅がつまらないというより、私の心がもう夫婦の枠に収まらなくなっているのだと思います。
帰宅したら私はまた妻に戻り、日常に戻ります。
でもその日常の中で、私は彼に会う約束を数えるようにして生きてしまう。
そう思うと、旅先の夜は静かなのに、胸の中だけが落ち着かず、私は自分の欲しさを持て余しました。
この旅で一番はっきりしたのは、私の心がどこへ向いているかという事実でした。
私は、もう隠しきれないほど、彼を求めています。


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