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夫婦旅行のはずなのに、行くのが苦しいのは、もう戻れない自分がいるから

夫に誘われた旅行が、こんなにも苦しいなんて――「夫婦だから」の言葉に揺れた私。

夫からの「旅行に行こう」で、昔の私が顔を出しました。

そんなある日、夫から旅行に行こうと誘われました。
彼と会う前の私は、半年に一度くらいの頻度で夫と旅行に行っていました。
遠くへ出かけるというより、同じ部屋で同じ時間を過ごして、夫婦らしい形を保つための行事みたいなものでした。
でも今の私は、夫婦としての形の中に、別の温度を抱えて生きています。
それでも私は、彼に会えるのは夫が公認してくれているからだという気持ちがどこかにあり、旅行の誘いを承諾しました。
「私だけが好き勝手をしてはいけない」と、古い道徳が胸の奥から顔を出したのだと思います。
私は、そういう感覚で自分を縛るのが得意な女性なのです。

彼に伝えた瞬間、彼の表情が痛いほど分かってしまいました。

旅行を承諾したことを彼に伝えると、彼は苦しそうな顔をしました。
その表情を見た瞬間、私は言葉より先に胸がきゅっと縮んでしまいました。
私は、夫婦で旅行に行くことが普通だと分かっています。
けれど、彼が苦しむのを見てしまうと、私の中の「普通」が急に冷たく見えてきました。
それでも彼は、「そうだよね。夫婦だもんね。行っといで。」と優しく言ってくれました。
責めない声、追い詰めない言い方、私の立場を分かったうえで押しつけない優しさ。
その優しさが、私には救いであると同時に、刺さる刃にもなってしまいました。

もし彼が奥さんと旅行に行ったら、私は耐えられないと思いました。

彼が彼の奥さんと旅行に行ったとしたら、私の心は押しつぶされるくらい苦しいだろうに。
そんな想像が頭に浮かんだ瞬間、私は自分の身勝手さに気づいてしまいました。
私は、彼には「夫婦だから」と言って受け入れてほしいのに、自分は受け入れられる自信がないのです。
それは、彼への気持ちが強くなりすぎた証拠でもあり、同時に私の弱さでもあります。
彼が優しく「行っといで」と言ったのは、心からの理解だけではなく、飲み込んだ痛みも含まれていたのだと思います。
その痛みを想像するだけで、私は急に夫との旅行が苦痛になってきました。
旅行が嫌なのではなく、私の心が、もう夫婦の形に戻れなくなっているのです。

夫との旅行は「食べて飲んで寝るだけ」なのに、心が拒んでしまいます。

正直に言うと、夫と旅行に行っても、食事をしてお酒を飲んで寝るだけです。
観光に胸が弾むわけでもなく、会話が増えるわけでもなく、ただ予定通りに時間が過ぎていきます。
夫婦の距離が近づく旅行というより、同じ部屋にいるだけで“夫婦をやっている”という確認のような時間です。
それなのに、今の私はその時間を想像するだけで息苦しくなります。
なぜなら私は、彼と出会ってから「大切に扱われる」という感覚を知ってしまったからです。
温度のある言葉、丁寧な動作、私の気持ちを受け止めてくれる姿勢。
それを知ったあとに、形だけの旅行へ戻るのは、心が空っぽになるようで怖いのです。

私は夫に触れさせないと決めてしまいました。

私は、旅行中も夫に私の身体へ指一本触れさせません。
言い方は強いのに、私の決意は静かでした。
私はもう、望まない形で自分を差し出して“妻を演じる”ことに、限界が来ているのだと思います。
夫に対して怒りをぶつけたいわけではなく、ただ私の尊厳を守りたいのです。
そして正直に言うなら、私の身体は彼のものだと思ってしまうほど、私は彼に心を渡しています。
それは誇れることではないのに、今の私にはそれが真実に近い感覚です。
夫婦という制度の中にいるのに、私は心も身体も別の場所へ向かってしまっているのです。

彼の「行っといで」の裏側を想像して、私は自分の答えを探しています。

夫との旅行を承諾したのは、感謝の気持ちや義理のようなものもありました。
彼に会えるのは夫が公認してくれているからだという気持ちが、私の中に確かにあったのです。
でもそれは、私が自分の人生のハンドルを、まだ夫に握らせたままだということでもあります。
彼が苦しそうな顔をしても、優しく送り出してくれたのは、彼が大人だからでしょう。
けれど、私はその大人さの上に甘えてしまっていないかと、怖くなります。
私が本当に欲しいのは、旅行という予定ではなく、誰の前でも「私は私でいていい」と思える安心なのだと思います。
その安心を、私はどこで作ればいいのか。
その答えを探しながら、私は旅行の支度をしてしまっているのです。


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