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私の言葉を否定しない人に出会ってしまい、SNSを探してしまった夜

美容院で気づいた「優しさ」に心がほどけて、私は彼のSNSを探してしまいました。

髪を切りながらの会話は、心の形まで整えてしまうのですね。

美容院の席で交わす会話は、不思議です。
鏡の前で、髪を少しずつ整えていく時間は、目に見える変化があるからこそ、心の方もつい緩んでしまいます。
私は都内の美容院で働いていて、毎日いろいろな方の髪に触れながら、いろいろな人生の断片を聞いています。
その中で、月に一度来店される、私が気になり始めた男性のお客様がいました。
最初のきっかけは香りでしたが、次第に私が惹かれていったのは、もっと別のところだったのだと、会話の中で気づいてしまったのです。
私は普段、家庭の中では自分の気持ちを小さく畳んでしまいがちで、言いかけて飲み込むことが多いです。
でも美容院の席では、なぜか少しだけ素直になれてしまう日があります。
その「少しだけ」の隙間に、彼の優しさが静かに入り込んできました。

私の言葉を、彼は否定せずに全部受け止めてくれました。

ある日、いつものようにカットをしながら、私は何気ない話をしました。
本当に些細なことです。
仕事の忙しさや、子どものこと、最近感じている疲れのようなもの。
私は深い相談をしたつもりはありませんでしたし、重い話をするつもりもありませんでした。
けれど彼は、私の言葉を途中でさえぎらず、最後まで聞いてくれました。
そして、否定や正論で片づけるのではなく、「それは大変でしたね」「そう感じるのは自然だと思います」と、柔らかい言葉で返してくれたのです。
その返し方が、あまりにも自然で、あまりにも優しくて、私は一瞬「ここは本当に仕事場だったかしら」と思うほど心がほどけました。
人は、正しい言葉よりも、受け止められた感覚に救われることがあるのですね。
私はそのとき、「この人、私の扱いが上手いな」と、心の中で思ってしまいました。

「扱いが上手い」と感じたのは、私がずっと雑に扱われてきたからかもしれません。

夫婦だから、家族だから、近い関係だからこそ、言葉が乱暴になることがあります。
私はこれまで、夫にぬくもりを求めたとき、突き放されるような言葉を投げ返された経験があります。
だから、丁寧に聞いてもらうこと、優しく言葉を返してもらうことが、私の中では“特別”になってしまっていたのだと思います。
彼の返しが上手いのは、きっと彼自身が人として成熟しているからかもしれませんし、仕事柄コミュニケーションに慣れているのかもしれません。
それでも私は、わかっていても惹かれてしまいました。
「私の言葉は、ここに置いていいんだ」と思える場所が、久しぶりだったからです。
そしてその安心は、香りよりも深く、静かに私の中に染み込んでいきました。
私は自分の心の隙間を見ないようにしてきましたが、彼の優しさに触れた瞬間、その隙間の輪郭がはっきり見えてしまったのです。

してはいけないと思いながら、私は彼のSNSを探してしまいました。

気になり始めると、人は弱いものです。
次の来店日までの間に、私は何度か思い出してしまいました。
あの返し方、あの目線、あの声のトーン。
そしてある夜、手が勝手に動くように、私は彼のSNSを探してしまったのです。
もちろん、仕事の倫理として褒められる行動ではないと分かっています。
既婚の私が、特定のお客様を気にして探すなんて、境界線を踏み越える第一歩になり得ることも理解しています。
それでも、心が弱っているときは、「良くない」と分かっていることほど甘く見えてしまうのですね。
私は、ただ彼のことを知りたかった。
何者なのか、どんな日常を生きているのか、その輪郭に触れたかった。
自分の中の寂しさが、理由を探していたのだと思います。

メッセージのやり取りが始まった瞬間、世界が少しだけ明るく見えました。

彼のSNSを見つけたあと、しばらく私は眺めるだけでした。
いいねを押す勇気もなく、ただ画面の向こうの生活を遠くから見ていました。
ところが、あるきっかけでメッセージを送る流れになり、私たちはやり取りをするようになりました。
最初は軽い挨拶や、髪型の相談の延長のような内容だったと思います。
でも、文章にも彼の「受け止める癖」はにじんでいました。
短い言葉でも、私を急かさず、雑に扱わず、丁寧に返してくれる。
それが嬉しくて、私は返信が来るたびに心がふっと浮くような気持ちになりました。
同時に、胸の奥では小さな警報も鳴っていました。
これは、どこへ向かうのだろう。
私は家庭を大切にしたいのに、私の心は温かい方へ、温かい方へと手を伸ばしてしまうのです。

私は今、「嬉しい」と「怖い」を同じ手で抱えています。

彼とのメッセージのやり取りは、私にとって救いのようでもあり、危うさでもあります。
人に優しくされると、人は簡単にほどけてしまうのですね。
私は45歳で、母で、妻で、それなりに人生を重ねてきたつもりなのに、心の寂しさだけは年齢に関係なく、素直に反応してしまいました。
私は彼を理想化しているかもしれません。
美容院という非日常の中で、月に一度会うという距離感が、余計にきれいに見せているのかもしれません。
それでも、今の私に必要なのは、自分の感情を責めることではなく、丁寧に見つめることだと思っています。
私は何を求めているのか。
誰に、どんな言葉を、どんな態度を望んでいるのか。
その答えを見つけないまま進むと、きっと私はまた、自分を壊してしまいます。
嬉しさに溺れず、怖さから逃げず、そのときの私は私の人生を大切にしようと思っていました。


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